全4回にわたって行っている、展示作品についてのお話です。
これまでの回:
第1回「穴の先、コルドバ(猫の手、暖かさの拝借)」
第2回「トップシークレット登山(ゾウムシ)」
第3回の今回は「ゾウムシのマッチング」についてお話します。
ゾウムシとの出会いについては、前回お話ししました。「ゾウムシのマッチング」は、ある気持ちの良い日、木の上でマッチングした2匹を描いた作品です。
私は仕事に向かう時、家から駅までの道はできるだけ自然がある道を選んで歩いているのですが、草むらを見る時にいつも、この草むらには一体どれくらいの種類の生き物がいるのだろうかと思いを馳せます。
人間も滅多に足を踏み入れない空き地の草むらには、途方もない出会いと別れのドラマがあるのでしょう。
種類が豊富にいたり、「~モドキ」系のそっくりさんのことも鑑みると、自分と子孫を残せる生き物を見つけるのは、とんでもない確率なのではないかと思います。
静止して見える草むらの中で実は繰り広げられているであろう駆け引きを想像して、いつもご機嫌で仕事に向かいます。
昨年、かいじゅうのプロジェクトでお世話になっている福島県須賀川市のtetteを訪れたついでに、同県のムシテックワールドに連れていってもらいました。(車のない私たちを連れていってくれた夫の両親に大感謝です。)
ムシテックワールドは養老 孟司さんが名誉館長をされている施設です。
子供たちに寄り添った大変すばらしい施設で、愛情深い展示やスタッフの方達に感動しました。そこで展示してあった「象虫:マイクロプレゼンス 小檜山賢二写真集」が忘れられず後日入手。今回描いた2匹の若者は、そこに載っていたマダラモンアケボノゾウムシ(しましまの方)と、ハイイロチョッキリ(ふさふさの方)です。そう、1匹はゾウムシではないのです。
チョッキリは、交尾後どんぐりなどの木の実にあの長い鼻で穴を開けてそこに産卵しますが、木は防御反応として傷口に毒を発生させたり、傷をつける虫の天敵の虫を誘う匂いを出すことがあり、チョッキリはそれを防ぐために、産卵後チョッキリと枝ごと落とすためにこの名前がついたとか。そういえば不可解に健康そうな枝が落ちていることがあり、あれは彼らが子を託して落としたものだったのか!となんだか嬉しくなりました。宇宙空間に飛び出た、避難船のような切なさ。
さらに調べたところ、枝を切るときもあの長い口の先端でせっせと噛み切るので時間がかかり、雌がそれをやっている間、雄は雌の体を支えるというではありませんか。虫には感情はないとされていますが、私は彼らから直接話を聞いたわけではないので、もしかしたら、とは思っています。本能で体が勝手に…というのが通説ですが、まだわかりませんからね。いつか会話ができるようになったら、話を聞いてみたいものです。
とにかく、この2匹は種類が違うので、これから波瀾万丈な日々が待っていることでしょう。どうなるでしょうか。ハラハラしながら描きました。
私がこういう絵を描くのは、そういったドラマチックなエピソードを共有して、共感できるものではないと決めつけてしまっているものたちとの距離をぐっと近づけることにその目的があります。言葉が通じないからとか、文化や価値観が違うからという理由で、蔑ろにはしてしまうことは、人間同士でも頻繁に起こることです。
私はアウシュビッツの日本人ガイドの中林さんに話を聞いた時に言われた、戦争は1人がすることではなく、多くの人の感情が起こすものでもあるんだというのが、ずっと自分の血に流れているのを感じます。自分の作品はとても小さく弱いけれど、こういう小さいことを一生をかけてやっていったら、もしかしたら何かを変えるきっかけの1つになり得るかもしれない。なんとも不穏なこの世界と時代ですが、熱く続けていきたい気持ちです。
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